風の詩(うた)

ジェジュンとAB6IXを中心にK-POPの音楽レビューを書いています。読書レビューは過去記事です。

「銃口」三浦綾子 レビュー

北海道旭川市の神楽という所、三浦綾子記念文学館がしらかばの林に囲まれ建っている。
「氷点」の陽子やその兄や友人たちのように美しい若者がどこからともなく現れてもおかしくないような静かで落ち着いた所にある。

「氷点」のドラマは何度もリメイクされているが、いつ何度観ても新鮮に感じる。それはこの作品のテーマが普遍だからだろう。また主人公の陽子はじめ、全ての登場人物の像が北海道第二の都市旭川に実にしっくりとはまり、大雪の山並み、音もなく降りしきる雪や石狩川から立ち上る霧さえも幻想的で美しく、この残酷な物語を清らかにさえ感じさせるからだろう。

さて、「銃口」は題名からしてきな臭い。本のカバー装画は小磯良平の「斉唱」である。白い小さな襟がついた黒のおそろいのワンピースを着た少女たちがなぜか裸足で合唱している。教会で讃美歌でも歌っているのだろうか。

この絵が描かれたのは昭和16年で、この頃、小磯は従軍画家として戦争記録画を手がけていた。「斉唱」にはやむを得ず軍に協力したことへのあがないの気持ちが込められ、平和を待ち望む祈りが込められていると言われてきたらしい。が、しかし最近、「小磯が必然的に群像を描くことになる戦争画に積極的に取り組んだ、その成果が『斉唱』なのではないか」とする説が唱えられているそうだ。

このカバー装画の解説がそのまま銃口の解説にもなりそうで今更ながらカバー画の重要性にも気づかされる。

綾子さんのあとがきによれば、小説「銃口」は「昭和を背景に神と人間を書いて欲しい」とテーマを提示され連載として書きはじめたそうだが、昭和の年代全般に至ることは到底できなかった。戦時を重点に最後は昭和天皇大葬の日をもって形を整えるにとどまった。はやりもっと書かねばならなかったという思いが残る。 とのこと。

私は相当なおばさんですが物ごころついた頃には戦争の爪後も見ることもなく、父でさえ戦争に行かなかった世代なので、「戦争を知らない子ども」であったばかりか、「東京オリンピック」の後「札幌冬季オリンピック」、「大阪万博」等々、日本全体が上昇気流に乗っていた頃が子ども時代で、今思えばそんな時代を観てこられたことも幸せだし、両親や回りから愛され、衣食住が足り、「言論の自由」が保障され、自由と平等、平和の中で生活できる あーこれこそ真の幸せというものなのだと「銃口」を読み、つくづくそう思った。

銃口」の主人公、竜太は教師だったが、「綴り方運動(北海道で、作文の研究、勉強をしていた教員が80名も警察に捕らえられた)」にかかわったという嫌疑を受け、警察に捕らえられる。軍の息がかかった戦前、戦中の日本の警察の非人道的かつ理不尽なことといったら、信じられないほどすざましい。こういうのは中国や北朝鮮の話かと思ったら大間違いなのだ。

さて、テーマの「昭和を背景に神と人間を書く」について少し書いておきたい。随所に神はこういう方であられると説明されていて、ここはよくわかる。また昭和天皇が現人神ではないことは、当時でも誰でもわかっていたことだと思うので、ここでの神と人間は、神と天皇を比較をしようというのでない。とすれば、これが書かれているのはどの部分なのであろうか。

私は、竜太の両親があまりにも立派で驚く。竜太は小学校で出会った先生の影響で教師になるのだが、戦争で出会った上官にも素晴らしい人物がいるし、タコ部屋から逃げてきた朝鮮人の金も非常に優れた人格の持ち主であった。 
ということは、たとえ信仰を持たずとも人格の優れた人はいくらでもいるのではないか。

この小説にはその辺りのところが描ききれていないような気がするのは間違いでしょうか。




2011-08-29