「ゼロ時間へ」アガサ・クリスティー レビュー
ミステリーにははまると大変と思っている私ですが、アガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、サラ・パレツキーなどは別枠で考えています。
昨年は忙しくて本屋さんに行く時間、余裕がなかったので、夫のお下がり本を読んでいたのですが、その大半がミステリーでした。
一旦読み始めるとやめられないのがミステリーですよね。
昨年1年でミステリー文庫、高さにして1メートル位は読んだんじゃないかと思います(@@)
その中で、はまってしまって さぁたいへん!と思ったのが松岡圭祐の千里眼シリーズで、他に有栖川アリス、法月倫太郎なども結構読みました。
昨年、お下がり本以外で夢中で読んだのは、「風と共に去りぬ」ミッチェルと「赤毛のアン」モンゴメリです。この2つ、全巻揃っているのを古本屋で偶然見つけたことを幸運と呼ばずになんといいましょう。必然だったと言っても過言ではないかもしれません。この2つは感想を書き出したら止まらないので、別の機会に書こうと思っています。
さて、タイトルの「ゼロの時間へ」ですが、読み始めてすぐに 以前読んだことがあると気づきました。でもそれがいつ頃だったのか全く思い出せないし、さらに結末も忘れていたので、ミステリーとしても充分楽しめました。
アガサ・クリスティーは、ミステリーの部分はもちろんですが、デティールがたまらなくいいですよね。今回は名探偵ポアロが出てこないのだけが残念でしたが、ここまで奥が深いと、ミステリーにははまりたくないなどと断言してはいけないと思いました。
2008-01-18
「4TEEN」石田衣良 レビュー
4TEEN=14歳、直木賞受賞作品
いやぁ男の子ってホント面白いですね!
末っ子が主人公たちと同じ年齢で、同じ位バカなことをするので親としては大変なのですが、本当の所は彼らの気持ちもわかるんです。
現実はこの小説のようにはいかないけれど、気持ちはわかるよっていうことで、息子に「今夜読みな」と無理やり押し付けたけれど、読んでくれたでしょうか。
男の子がいるお母さんにお奨めの1冊です。
2008-01-20
「うつくしい子ども」石田衣良 レビュー
「4TEEN」に続き、中学生を扱っていたので読みました。現実には「酒鬼薔薇事件」があり、ちょうどその年代にさしかかっていた息子が3人もいるのに、ローティーン(特に男の子)の心の闇をここまで深く考えたことはありませんでした。
今、三男坊を見ていると、ここまでとはいいませんが、彼も彼なりに苦しみもがいているということが少し理解できたような気がしました。
13歳の子どもが8歳の女の子を殺すという重苦しい話ですが、どんなにやりきれない中にいても、歩み出す道があること、希望を見出せることを指し示してくれます。
この小説に出てくる親たちは出来すぎで、普通はとてもこうはいかないと思いますが、心に留めておくことが重要だと思いました。
2008-01-21
「パーフェクト・ブルー」宮部みゆき レビュー
1989年、宮部みゆきさん初の長編作品です。
一人称の俺は元警察犬(マサ)です。空前のペットブームということもあり、これからの小説には犬や猫が数多く登場しそうですよね。
夏目漱石の「我輩は猫である」が始まりだとは思うのですが、あまりにもインパクトが強かったせいか、その後の小説で動物が一人称というのはあまり読んだことがありません。
さて本題、
いいところまでいっていると思うのですが、結末が突風で非現実的過ぎる物語でした。
宮部みゆきさんはまだ2冊目ですが、もし1冊目にこれを読んだとしたら、もう読まないと思ったかもしれません。
ただ、マサの描写はとても良かったです。あーワンコってホント可愛いーと思いました。
2008-01-30
「雪 国」川端 康成 レビュー
私の中で「雪国」は古典です、
昭和47年まで生きていた川端康成を古典とは、なんて乱暴なと思うでしょうか。
川端康成氏の感覚は紫式部や清少納言より古いと感じてしまったのです。これは単なる男と女の違いでしょうか。
なんだか偉そうに書いてしまいましたが、実は薄っぺらいこの紺色の本(新潮文庫)はすぐに読めたのですが、一度読んだだけではとても奥まで入っていけないと思いました。
表面だけ撫でさせてくれたような、入り口で拒否されたような気分でなんだか悔しかったです。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
このもっとも有名な書き出しは、誰もがご存知でしょう。
親の財産で遊んでいるような島村と温泉芸者の駒子の物語。
ここまでもなんとなく知っていたような気がしますね。
ではこの先の展開はとなると、おそらくほとんどの方があやふやになるのではないでしょうか。
それもそのはず、この物語には展開などほとんどなく
ただただ情緒的なものを並べておいてあるのみ。
その典型的なもの
島村と駒子の会話が繋がっていないのです。
会話の間の空気を読めということなのしょう。
と、途中で私も気づくのですが
これが非常に難しいです。
伊藤整が解説で、これは近代日本の「抒情小説」の古典と位置づけています。一般的には「心理小説」ということらしい、、、なるほど。
続けて、伊藤氏は
「抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、心理のきびしさの美をつかむという道。これは日本人が多分もっとも鋭くふみ分けいることのできる文芸の道の一つである。すでに私たちは「枕草子」という、この道の典型を持っている」と書いています。
この伊藤氏の解説は、川端康成がノーベル文学賞を受賞するずっと前、昭和22年に書かれたものです。
清少納言より古く感じると書いた後で、「枕草子」がこの道の典型と引用しては、なんだか矛盾するようですが、清少納言は、田辺聖子さんによれば、川端康成氏のような潔癖さはなかったと思われます。
伊藤整氏と田辺聖子さんの対談があれば、この謎はとけたかもしれないのに、残念ながら伊藤整氏も故人となってしまいました。また生前の川端氏と田辺聖子さんが親交があったかも不明です。
さてこの後、「雪国」を再読するのはいつになりますか。
2008-02-04
「古 都」 川端 康成 レビュー
心身ともに危機の状態(執筆終了後東大病院に入り10日間意識不明に陥り、その間に肺炎と腎盂炎を患ったが本人は知らなかったとのこと)で、眠り薬でもうろうとしている中で書き進めたと後書きで書いておられますが、川端康成氏の晩年は、ひどく痩せて目だけがぎょろっとしている白髪頭のおじいさんを皆さんも思い浮かべるのではないでしょうか。
しかしながら、まだこの時は睡眠薬を絶とうと考えておられたようです。
作品はというと、「雪国」よりは理解しやすく、読後も爽やかです。
これは新聞連載という万人向けということもあったろうし、本に収めるということで書き直しがあったためかとも思われます。
解説の山本健吉さんが、「結局は京都の名所風俗図絵、年中行事絵巻を繰り広げるところが、この可憐な作品のひそやかな願いでもあったのかもしれぬ。」と書いておられますが、それはもうそうに違いないと思いました。
でも、生き違いになった双子の娘(どちらも可憐で素直、この上なく理想的な人柄)の出会いの面白さ。
そしてお互いを自分のこと以上に思いやり、また家族や回りへの気遣い、この無垢な妖精のような娘たちの運命にも惹きつけられました。
京都は神社仏閣が多いのでお祭りも多いのですね。
そしてその回りの自然も豊かに残されているところなんだと、あらためて思わずにはいられませんでした。
外国の方が古都を読み、京都に憧れるのもよくわかります。
これが書かれたのは、昭和35,6年と思われますが、その頃から半世紀近くが経とうとしています。今の京都でこのような作品は生まれることがあるのでしょうか。
京都は変わらずというのは、やはり夢かもしれませんね。
久しぶりに文学作品を読んだという気持ちになりました。
2008-02-09