風の詩(うた)

ジェジュンとAB6IXを中心にK-POPの音楽レビューを書いています。読書レビューは過去記事です。

「雪 国」川端 康成 レビュー

私の中で「雪国」は古典です、

昭和47年まで生きていた川端康成を古典とは、なんて乱暴なと思うでしょうか。

川端康成氏の感覚は紫式部清少納言より古いと感じてしまったのです。これは単なる男と女の違いでしょうか。


なんだか偉そうに書いてしまいましたが、実は薄っぺらいこの紺色の本(新潮文庫)はすぐに読めたのですが、一度読んだだけではとても奥まで入っていけないと思いました。


表面だけ撫でさせてくれたような、入り口で拒否されたような気分でなんだか悔しかったです。


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
このもっとも有名な書き出しは、誰もがご存知でしょう。

親の財産で遊んでいるような島村と温泉芸者の駒子の物語。
ここまでもなんとなく知っていたような気がしますね。
ではこの先の展開はとなると、おそらくほとんどの方があやふやになるのではないでしょうか。

それもそのはず、この物語には展開などほとんどなく
ただただ情緒的なものを並べておいてあるのみ。

その典型的なもの
島村と駒子の会話が繋がっていないのです。

会話の間の空気を読めということなのしょう。
と、途中で私も気づくのですが
これが非常に難しいです。

 

伊藤整が解説で、これは近代日本の「抒情小説」の古典と位置づけています。一般的には「心理小説」ということらしい、、、なるほど。

続けて、伊藤氏は
「抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、心理のきびしさの美をつかむという道。これは日本人が多分もっとも鋭くふみ分けいることのできる文芸の道の一つである。すでに私たちは「枕草子」という、この道の典型を持っている」と書いています。

この伊藤氏の解説は、川端康成ノーベル文学賞を受賞するずっと前、昭和22年に書かれたものです。 

清少納言より古く感じると書いた後で、「枕草子」がこの道の典型と引用しては、なんだか矛盾するようですが、清少納言は、田辺聖子さんによれば、川端康成氏のような潔癖さはなかったと思われます。

伊藤整氏と田辺聖子さんの対談があれば、この謎はとけたかもしれないのに、残念ながら伊藤整氏も故人となってしまいました。また生前の川端氏と田辺聖子さんが親交があったかも不明です。


さてこの後、「雪国」を再読するのはいつになりますか。

 


2008-02-04