夢の話~「赤頭巾ちゃん気をつけて」庄司薫 レビュー
今日は何の予定もない休日でした。
庭に植えた花も順調に育っているし、梅公園にもう一度散歩に行くには風が強くてためらわれました。
外は風があるのにお日様は燦々とソファに降り注いでいます。こんな日はソファに寝転んで本を読み耽るにかぎります。
私の至極の時間です。 そうしていつの間にかうとうと。これも何もない休日の定番です。
そしてとてもおかしな夢を見ました。
私の夢の話。
コンタクトレンズで目を傷つけてしまった私は車の運転ができず、息子の最新式のマウンテンバイクを借りて山の上にある素敵な喫茶店に向かっています。
目の前に急な坂道があり、自転車で登れるのだろうかと思うのですが、なんとすんなり登れてしまい、無事 喫茶店に着きました。
お店の中はちょっと込み合っていましたが、空いている席もあるようでした。が、コンタクトをしていない私はよく見えません。
どこに座ろうかと迷っているとウエイトレスが来て、動物はお好きですかと聞きました。
「ええ、好きですよ。」「ミニチュアダックスを飼っています」と言い終えるか終えないうちに、「ではこちらに」と案内してくれました。
お店の奥の細い通路を進んでいくと砂場のように木の枠で囲った土置き場のような所があり、そこに黒いダックスがちょこんと座っているのが見えました。
「わ~!かわい~い」と思いましたが、その犬をよく見る間もなくウエイトレスが珈琲とケーキを運んできて、お店と通路の間のドアをバタンと閉めて行ってしまいました。
珈琲とケーキは土置き場の前にあった幼稚園児が使うようなちゃちなテーブルセットの上に置いていきました。
私は可愛いものは好きですが、子どもぽいものはあまり好きではないので幼稚園児が使うようなプラスチックのテーブルで珈琲は飲みたくないと思ったのですが、仕方なく座りました。なんだかたった一人ぼっちで取り残されたような気分に戸惑いを感じながら。
すると、わっと犬が駆け寄ってくるではありせんか。
それも一匹じゃなく後から後から何匹もやってくるのです。
しかも犬だと思ったのは猿でした!
眼鏡猿の軍団がケーキめがけて私に飛びついてくるのです。
きゃぁ~~~。私は猿たちを振り切って店のカウンター前まで逃げ出しました。
そんな私を見てもカウンターの中の人たちは、何も言わず黙々と仕事をしています。
「なんで猿がいるんですか! 私だけ猿を見ながらお茶してというの!」
と怒り口調で叫びました。
「ここが素敵なお店だと知っていたのでやっとの思いで来たのにこの仕打ちはなんですか!!」最後は絶叫です。
私は以前にも一度このお店に来たことがありました。その時は地元の裕福な素敵なマダムと二人で車で来たのですが、ここの珈琲とケーキがとびきり美味しいということも知っていました。
そんな私の悲痛な叫びを聞いてもカウンターの人たちは何も言いません。みんなだんまりを決めているようでもあり、知らぬ存ぜぬといった態度が余計しゃくにさわりました。
そこで目が覚めたのです。
ね、不思議な夢でしょう?
でもこの夢にはちょっとした伏線があるので書いておきます。
寝転んで読んでいた本が、庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」なんです。
今頃なぜ こんな本を読んでいたかはいずれ書くとして、この本の最後の方に薫君が新宿の雑踏の中で、私と同じような気持ちになるのですね。
「ぼくの中に生まれて初めて、この見知らぬ人々に対する、そしてこのざわめきのこの都市この社会この文明この世界、このぼくをとりまくすべてに対する抑えきれぬ憎悪が静かにしかし確実に目覚めてくるのがわかった。
そしてその憎悪は生まれると同時にたちまち激しい怒りと敵意と復習を誓う怨念のようなものへと姿を変えていった。ぼくはこの復讐を必ずするだろう。
それがどういう形になるかは分からないけれど、しかしぼくは必ずやるだろう。何故なら、あんなにも素直に、あんなにも努力して何かを守り続けてきたぼくを、ののしり嘲りからかい追いつめそして足をひっぱり続けたのは、おまえたちなのだから。ぼくがこれからどうなろうと、何をしようと、どんなにダメになろうと、それはみんなおまえたちのせいなのだから。」
こんなふうに思いすっかりダメになりかけていた薫君は、そのすぐ後にカナリア色のコートにおそろいのリボンをした5歳くらいのとってもお洒落な女の子に会うのね。そして彼女にいろんな話をしてあげて、「赤ずきん」の絵本を選んであげて、上のような憎悪から1時間もしないうちに
ざわめく街角のまん中で、静かにひっそりと、でも誰よりもしあわせに喜びに溢れて いつまでも立ちつくしてた わけなんだけどね。
もちろんもっと素敵な続きもあり、この本はやっぱり好きだなぁ。
やっぱりいいなと思ってます。
夢の話が「赤頭巾ちゃん気をつけて」の感想のようになってしまったね。
でも赤頭巾ちゃん~についてはもっと感想があるのでいつか書きたいと思ってます。
2007-05-20
「むかし・あけぼの」田辺聖子 レビュー
清少納言という女(1)
この本は、かの有名な「春はあけぼの・・・をかし」で始まる 清少納言の「枕の草紙」を通して田辺聖子さんが感じる清少納言像と清少納言が務めた宮中の様子を小説仕立てにしたものです。
暑い夜のつれづれに読んでいるものだから、ようやく上巻を読み終えたばかりですが、少しずつ感想を書いておこうと思います。
まずは枕の草紙 第1段を書きとめておきますね。
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも をかし。雨など降るも をかし。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
超現代語訳を試みてみます。
こんな感じはいかがでしょうか。
春は夜がしらじらと明ける頃のミルク色の空が素敵!
山際の空が少し明るくなってパープルがかった雲が細く流れているところなんて、ほんとうに素敵だと思う!
夏は夜が好きだわ。月が見える頃になるとあの人を思ってロマンチックで素敵な気分になるから。
でも月が出ていない真っ暗な中、蛍がたくさん乱れ飛んでいるのを見るのもいいよね。
蛍はほんの一匹二匹、かすかに光って飛んでいくのを見るのもなかなかだと思うのだけど。
またしとしとと雨が降る夜も嫌なことを全て洗い流してくれるようで好きだわ。
秋は夕暮れが好きよ。
いつの間にか夕陽が空いっぱいに広がり、山の端に烏がねぐらに行こうとして、三羽四羽・二羽三羽などと飛び急いでいる様子が、子どもが急にお母さんを思い出し駆けて家に戻る感じがしない?
夕餉の温かさやお母さんの匂いが漂ってくるようで懐かしい感じがするわよね。
ふと目をこらすと遠くに雁が列をなして飛んでゆくのが見えることがあって、そんな風景は上品な掛け軸をみているようでゴージャスじゃない?
日が沈みきり辺りがしんとして風の音や虫の声に耳を澄ますのも、とても風情があっていいものよね。
冬は朝早い時間が好きなのよね。
雪が降った朝は何もかもが清らかになったようで心が洗われるようでしょう。
また霜が真っ白に降りた朝もそうね。
またそうでなくて、カーンとしばれた朝に、急いで火をおこして炭を持って廊下を通っていくお手伝いさんを見るのも、ぴったりした風景でいいなと思うの。
でもお昼頃になって寒気がだんだんゆるんでいくと、火鉢の火が白い灰のようになってしまっては感じがよくないよね。
口語訳ですっかり疲れてしまいました。続きはまたのちほど。笑
2007-08-27
「困らせてくれてありがとう」マーク・I・ローゼン レビュー
多少のことには動じない自分になる!
人生はイライラした方が負けである。
危険な人々に困らせられたら、
にっこり笑ってこういおう。
「困らせてくれてありがとう!」
白状すると、はぃ、、、
この帯につられて買い求めました。
(目次)
1章 厄介な人はどこにでもいる
2章 厄介な人とのつきあい方
3章 なぜ人は「厄介な人」になるのか
4章 困らせてくれてありがとう
5章 答えはあなたの心のなかにある
6章 敵を抱きしめる
7章 よりよい人間になるために
こういう自己啓発本は、あまり好みではないのですが、この時は困ったことに陥っていたのでしょうね。買ったのは数年前です。
この時1度読みました。しばらく忘れていたのですが、年末に困った人が現れまして、、、再び読むことになったわけです。
というか、楽しみのための本は落ち着いて読むことができない状況になっていました。
年末に現れた困った人は敵ではないのですが「敵を抱きしめる」、つまりは「隣人を愛せよ」ということ。もっと言えば、ただ「愛しなさい」ということだけ。私の愛をわかってくれるといいな 私の愛する困ったちゃん!と思いました。
(あーでも、昨年は他にも困った人に出会ったけれど赤の他人は忘れることができるものですね。これほどまでに愛する者に苦しめられたことはなかったです。)
というわけで、眠れぬ夜の記念の1冊です。
「人びとのかたち」塩野七生 レビュー
この本は塩野さんが愛する映画の中の人びとについて書かれた本です。
塩野七生さんは私の憧れの人ですが、なかなか近づくことができません。
映画についても、これほど深く感じることができる方は多くはいないでしょうね。
男性とは全く違った見方をされるところに共感を覚えるのは確かですが、この本を読み塩野さんに半歩でも近づけたかといえば、ますます遠ざかる塩野さんの背中がちらっと見えたくらいにか感じませんでした。
映画の中で繰り広げられる「人びとのかたち」
映画って観る人によって本当に様々ですね。
DVDの手軽さを考えると、これからの私達にとって、映画は読書すると同じくらい身近なものになりますよね。
楽しみが増えることには大賛成です。
2007-12-30
「推理小説」湊 建日子 レビュー
湊 建日子(1968年生)=はた たけひこ と読むのですが、この方は女性なのか男性なのか、本を読んだ後もわかりませんでした。
私は女性だと思いましたが、男性ですね。失礼いたしました。
一言でいうと、実に面白い本でした。
数日間、読者の時間が楽しみで仕方ありませんでした。これは習慣を無視して一気に読んでしまおうと思わなくもなかったのですが、訳あって辛い時期でありまして、私の楽しみは1日15分でよいと思いました。
さて、この本は湊 建日子さんの小説家としてのデビュー作ですが、彼は、小説家の前に劇作家、演出家、シナリオライターとして有名ですから、TVドラマの「天体観測」「最後の弁護人」「共犯者」「ラストプレゼント」「87パーセント」「ドラゴン桜」とくれば、ご存知の方も多いでしょうね。
2008-01-03
「スローなブギにしてくれ」片岡義男 レビュー
いつからか本を読むことに少しだけ罪悪感のようなものを感じるようになっています。
それは現実(家事やピアノ)からの逃避だと思っているからでしょうか。
そんなこと気にする前に、「感じるだけじゃなく、何か行動を起こせよ」と、言われているような気がするからかもしれません。
新聞の読書コーナーでですが、久しぶりに片岡義男さんの文章を読みました。片岡義男さんの本は、若い頃、題名やカバーに惹かれて結構読みました。椰子の木が並ぶ海岸線、ハワイやロスの風景、ロック、ウィスキー、英字新聞、金髪の美女、白いTシャツに皮ジャン、オートバイ、サーフボード、、、断片がよぎるだけで、ほとんど中身を覚えていませんが、ロックが似合う小説だったような気がするだけです。
久しぶりに片岡さんの文章を読み、小説の中身をすっぽり読み落としていたのを残念に思いました。
“記憶が自分の全て” だと片岡さんは書いてらっしゃいました。それはたぶん真実なのでしょう。
自分は自分の記憶以上のものではなく 自分の記憶以下のものでもないのですね。
他人が考える私とは、似ていても違うのでしょうね。
「スローなブギにしてくれ」は、片岡さんの小説の中で唯一もっとも記憶しているものです。
映画も2、3回観ました。南佳孝さんの同名の曲も映画にマッチしていてとても好きでした。
これは80年前後に書かれたものなのかな。実にまったりとした時代だったのかと思います。
それ以前は、反戦、反社会、反体制、、etc。若者もすごく苦しみ もがいていたような気がするからか、少しくらいルーズでもいいんじゃいかなと思ったり、、、つまりは、本を読むことに罪悪感などこれぽっいもいらないということですよね!!
2008-01-18