「誰のために愛するか」他、曾野綾子 レビュー
久しぶりに曾野 綾子さんを読みました。
曾野綾子さんのご主人は、三浦朱門さんですね、
エッセイばかり4冊読みました。実は曾野 綾子さんの小説は1冊も持っていなくて、読んだことがありません。
タイトルの「誰のために愛するか」を見て、非常に懐かしく思われた方もおられるのではないでしょうか。「誰のために愛するか」は、昭和45年出版なのでこの本を手に取ったのはずっと後になってからのことです。
それを今また読み返したのは、古本屋で「人は最後の日でさえやり直せる」というタイトルに惹かれて25年ぶりに綾子さんの本を手に取ったからで、この本を読んでから家の本箱から綾子さんの本を3冊を探し出して読みました。
実はすっかり忘れていた「あること」に、かなり驚いています。
それは、私は「綾子さんにものすごく影響を受けている」という、とても重要なことでした。
物事の捉え方というか、考え方、ある時期までは言葉使いまで、かなり強い影響を受けていたことを思い出したのです。それがいつ頃までだったかも忘れてしまいましたが。
「誰のために愛するか」もいい本だと思いますが、これを書かれた当時は綾子さんも若く、まだまだ甘いなと感じます。これは25年経って読んだ今の私の感想です。
そしてもう1冊「私の中の聖書」は、それはそこは違うでしょうと思うこともありましたが、すごく勉強になりました。
聖書を全て理解することは、残念ながら私には一生かかっても無理だと思いますが、綾子さんも同じようなことを書いておられ、「これは私の永遠の中間報告の一つと言うことでお許し頂きたい」と前書きにもあります。
私はその続・中間報告を期待するのですが、続が出でいるかはわかりません。
・「誰のために愛するか」曾野 綾子
・「人びとの中の私」曾野 綾子
・「私の中の聖書」曾野 綾子
・「人は最後の日でさえやり直せる」曾野 綾子